早朝散歩

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先週金曜(19日)の晩は、お決まりの丸南本店。

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創業120周年の記念パンフを頂いた。

週末で客が多かったが、ひと段落して店主と雑談しているうちに古地図の話になり、2階から持って見せてくれたのが3枚。
いずれも開港150周年にあわせて作られたポスターとカレンダー。

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「箱館真景」。上は1868年(慶応4年)で下は1882年(明治15年)。
筆致はもとより、15年の間に帆船が蒸気船へと変わるなど、時代の変化を感じさせる。

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湯の川(中央左端)は昔、ほとんど未開の地域だったのか?
少年刑務所は古くは監獄だったという話を聞いたが、金堀町という地名との関係についてはこの地図では解らない。

明治の地図になると区画もかなり正確になっている。
4代目店主によれば、道筋自体はそう変わりはないそうだ。
江戸切絵を片手に東京都内を探索するというエピソードを見聞きして羨やましいと常々思っていのだが、函館でもそれが可能だ。さすがは函館。

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1882年(明治15年)の「函館公園全図」。

遠いはずの山や岬が違和感なく収まっているのは、幼稚園児が親の顔をやたら大きく描くのと一緒か。
脳内の産物という意味で、衛星画像を基にしたものよりもこちらのほうがずっと好ましい。

今日は5時半に目覚めたので、朝茶を啜ってから出かける。

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交番に届け、法的にも自分のものとなった自転車を積んできた。
ペダルがキシキシする。
朝市を抜け、大町から弁天町にかけて見て回る。

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これは・・・と思う建物には「景観形成指定建築物等之證」函館市の標章が貼られている。

2度の大火に見舞われたにもかかわらず、古い建物がかなり残存していて、隣に真新しいマンションが建っていても景観が引き締まる。
何度来ても見飽きる事はないだろう。

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コラ!荷を積んで公道走っちゃダメだってば。
もし大特免許持ってないとダブルパンチだぞ!

函館の冠水状況

駅前周辺は路面が水浸し。
すぐ近くのロワジールホテルではロビーに浸水した模様。
その事をテレビで知り、あわてて窓を開ける。

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11日19時30分頃。

満潮時刻が過ぎたので徐々に引いていくと思われるが・・・。
歩行者を見た感じでは、水深が15センチ程度か?
1階がコンビニなので、今日はそこで夕食を調達する予定なのだが、困った。

裸足で行けってカイ!


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11日20時撮影。

引いた・・・。
潮の満ち引きというのを初めて体験する。

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11日23時50分撮影。

また冠水している・・・。
明日の朝出発する時に引いていれば良いのだが。

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国道は無事のようだ。
何となく程度が見えてきた感がある。

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12日6時30分撮影。

5時半頃に強い揺れで目が覚める。
昨夜、宿の1階も水浸しになりエレベータ使用不能。
コンビニは昨夜臨時閉店した模様。

フロントの話によれば、冠水は深夜2時頃に治まったようだ。
路面には所々に海草類が散乱し、磯の香りが漂う。
国道沿いのサンクスがやっていたので缶コーヒーを買う。

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7時。

昨夜は買い置きの「飲むヨーグルト」と宿の冬季サービス品「柿ピーの小袋」が夕食。
被災者・行方不明者の事を考えると食べる気が起こらない。

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タイヤとボディに吃水線の形跡が見て取れる。
幸いにもマフラーやエンジン部までには至らなかったようだ。
エンジン一発始動で安心する。

岩手に住む悪友Hの無事を確認した。

津波警報により全面交通止め。
果たして明日中に帰れるのだろうか。


12日13時30分

交通規制は徐々に解除されているようだが、また津波が来ると判らない。

死者・不明が1,500名。
とてもこんな数では済まないだろう。


13日早朝

函館駅の乗車券売り場には既に10数名並んでいる。

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どんぶり横丁市場だけは明るい。

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通路はかなり片付けられていた。
ストーブや冷蔵庫が路上に流れ出したというから被害は相当なものだったのだろう。
声を掛ける気になれない。

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クワガタ

隣町への通い出張は本日まで。

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火曜日から5日間、暑くもならず雨に見舞われずに済んだのは、日頃の行いが良かったお陰だと思う。

駐車場の雑草を抜いていると黒い昆虫が1匹歩いている。
ヘッタレ虫かと思ってよく見たらクワガタだった。

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大顎を開き、体をのけぞらせて威嚇する。
メスは見分けにくいが、腹部に黄褐色の毛があるのでミヤマクワガタのようだ。
袖を噛ませたりして遊んでもらってから草っ原に放つ。

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昨日の画像。醤油ラーメン(470円)
10時半頃、北広島駅近くの市民生協にて。
こちらも負けじと黒い。

明治七年 函館製造

5月28日。

丸南本店でいつものように奥さんと四方山話をしていると「金森倉庫」の話になり、そのうちに「ちょっと待っていて下さいね」と言って外に出た。
2~3分後、包みを大事そうに抱えて戻ってくる。

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「明治7年 函館製造」という刻印がある。
金森倉庫で使われていたものらしい。
思わず見入ってしまう。本物には何かを語りかけてくるような迫力がある。
その場から離れられなくなり、話し込んでいるうちに、私が「こうした世界」が好きだという事を察してくれたようで、お土産を頂いた。

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「見て解る人に差し上げたいと思っていた」との事で、ただ恐れ入るしかない。
ただの酔っ払いに過ぎないのに・・・。

セメントが附着してやや見づらいが、同年製造のもの。
明治7年は西暦1874年。今から135年前。
曽祖父はまだ生まれていなく、4代前の高祖父だってまだ少年期だった頃の物が目の前にあるわけだから、もう嬉しくって仕方がなく、ビジホの部屋で何度も手にしては飽かずに眺めていた。
丹念にセメントを除去してきれいな状態に蘇らせてあげたい。

石を撫で回すようになったらもうオシマイだ、みたいな話があるけれども、煉瓦なら別に問題なかろう。

2日後、何と今度は私も入手する事となる。

所有者は偶然縁があった方なので話はスムーズに進んだ。
普通、一般市民には入手困難な物なのだが、相手方はこちら側の気持ちを汲んでくれたようだった。
迷惑がかかるので入手経路はバラさないでおく。

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2個譲ってもらった。何れも明治七年製造。
同時期に作られたものが、北海道開拓記念館に収蔵されている。
凄いものを手に入れてしまった。

出張先の夜はどうせヒマなので、函館における煉瓦の歴史というのを調べてみた。

函館近辺では江戸後期に女那川で煉瓦が製造されていた事が知られているが、明治5年、開拓使の主導によって上磯の茂辺地村に「開拓使茂辺地煉化石製造所」が設立されており、これが北海道における本格的な煉瓦製造の嚆矢とされている。

9年の途中から11年まで製造が中止され、同年途中から再開したものの、13年に民間へ委譲されている。生産調整がうまく行かず、商売としては不成功だったようだ。
既存の(民間)煉瓦工場もいくつかあり、安定供給には欠かせない存在だったはずだが、残念ながら当時の概要を解明するまでには至っていないようだ。

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元町公園にある「旧開拓使函館支庁書籍庫」
明治13年建造。

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建物の至るところに製造年の刻印が見られる。
「無印」は、9~11年の製造休止中に民間の工場から調達したものだろうか?
中には逆さまに積まれている物も少なからずあったりして見ていて楽しい。
確認出来た刻印は明治七・八・九年のみで、11~13年製造のものは打刻をやめたからではなく、それを使用した建造物が既に姿を消してしまったという事情に拠るらしい。

色々見ていて気になったのが、 「意匠の違い」
文字が凸だったり、八年製造のものには「八年」と「函館製造」が別々なのと、四角い枠内に一緒に収まっているのが混在している。
同じ工場で作られた製品の刻印の意匠が異なるというのはちょっと考えにくい。
あったとすれば等級を示すものか、民間工場へ委託発注でもしていたのか、或いは八年の途中で金型を入れ替えたものなのか?
今のところ、この件について言及した文章に出会っていないので尚更興味が湧く。

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さて、こちらは丸南本店所蔵の 「意匠違い」
「函館製造」の刻印も煉瓦のサイズも1回り大きい。
6月3日の早朝に書籍庫と倉庫群をつぶさに見て回ったが、こんなのは1つも見た覚えはないぞ!
謎は深まるばかりだ。


5月30日、入手した煉瓦を持って丸南本店へ行き、話しているうちに面白いものを見せてくれた。
明治18年発行の「商工函館の魁」 (平成2年復刻版)。

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その中の1頁に、郵便滊舩三菱會社、とある。
手前の橋は現在の「七財橋」で、場所はそのままらしい。
付箋の下、倉庫群の後ろにある社屋のような大きな建物の場所が現在のラビスタ函館ベイ

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上から、
「七財橋」から見た「ラビスタ(左側)」、
金森倉庫群(大火による建替えで建物の向きが90度変わっている)、
愛車と古レンガ(彼方にゴライアスクレーン)。

本日、夕食を食べに丸南へ行くと、奥さんがとても詳細に調べていられて驚いた。
朝から夜遅くまで働き詰めだというのに。

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茂辺地の工場跡地は現在も山間にひっそりと名残を留めており、今でも煉瓦のかけらが散逸したままの状態だそうだ。

いずれ機会を見て訪ね、軍手に長靴で探索してみようか。
運が良ければ明治11年製造の残骸が見つけられるかもしれない。

空想の旅は続く。

関連記事

駐屯地内の喫茶店

一般市民にとって駐屯地内は異空間。
1週間も居たら嫌になりそうだが、仕事で年に数回来る分には居心地がいい。

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入門の都度記入し、ダッシュボードに置くプラカードとバッジを渡される。
この用紙に面会相手の認印がなければ出られない仕組み。

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こうした笑えるポスターもある。

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北部方面音楽隊の練習場。
サイロ隊舎に引っ越したのではなくて新築されていた。
町とか村で見かける多目的施設並みの規模で、札響の練習場(芸森ホール)よりも立派に見える。

音楽隊に高校ブラバン時代の1期先輩がいて、ずっとクラリネットを吹いている。
先日、『是非受講してくださいよ。落としますから』と伝えた。

毎日好きなだけ吹きやがって!といった妬みの要素が大部分を占める。

厚生センターの飲食店は休日交替制なので、喫茶店に入る。
混雑を避けるために昼食休憩を30分早めたものの、カレーで35分待たされた。
ある受講者が「店の姉ちゃん可愛いかったから許す」
美人は得するものだ。
こちらでメニューを決め、時間に合わせて人数分準備してもらえばよかった。
駐屯地内はそんな事も可能。


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訴求力満点。


花火大会

昨晩は仕事絡みの酒席。
主要行事を翌日に控え、打ち合わせ会と称する宴会。
出張先で一緒に仕事をしている人達なので遠慮しないで飲めるのがいい。

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会場はホテルのレストラン。
「テーブルオーダーバイキング」といって3品ずつ注文し、皿が空いた頃にまた3品、そしてまた3品と、120分以内で約50種のメニューから好きなだけ選べる。
1人2,200円に飲み放題がプラス1,700円とリーズナブルな価格。

「飲み放題なのでちゃんと元取らないとダメですからね!、いゃあ、明日早いけど少し飲み過ぎたほうが熟睡出来ますから、ハハッ・・・」

と言っておいて幹事自ら生ジョッキを5杯空けて見本を示す。
酔う前に10名分の会計を済ませた。

宴もタケナワの頃、近くで花火の爆音が響く。

職場の屋上は花火見物の特等席で、事務所に人が残っているのを確認し、人ごみをかき分けて裏口から入り、贅沢な花火見物。

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丸くてデカいのを撮りたかったが、酔っているので気長に待てない。

至近距離なので開く瞬間と破裂音の時差が殆んどなく、衝撃波を全身に体感出来る。
そして、やたら煙たい。

画像を諦めて動画を2種。

花火動画1

花火動画2


最後まで見届けるとマトモに帰れなくなるので15分ほどで中座した。



8月2日。


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なにさコレ!?
5~6枚分は減らしてるな。

開封するまで判らないというヤリ口が気に入らん。
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クールビズ

遅ればせながら私の職場も今年からクールビズを実施している。
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街を歩いていてもノーネクタイのサラリーマンが珍しくなく、昨年までは「何かだらしないんじゃない?」といった印象を感じていたものだが、いざ外してみると楽なこと楽な事、なんで今までこんな窮屈を強いられていたんだと思うほどの変わりようだ。
とにかく肩凝りがしなくなったというのがいい。
夏だけじゃなく、年中こうしていられないものか?


「ヤクザみたい」という妻の一言だけが気にかかる。

函館氷

旬の話題ではないが、最近知った事なので書き記しておこう。

夏の暑い時期に苦労して氷を求めたという話は昔からあり、古くは仁徳天皇の時代(374年)、皇族が遊猟中に野山で天然の氷室を発見し、中から氷を取り出して天皇に贈ったという話は割と知られている。

江戸時代に入り、北国の大名が貯蔵した雪や氷を銷夏用に幕府へ寄贈した例もあるが、一般庶民に手が届くようになったのは横浜開港後の明治2年、町田房造なる人物がアメリカのボストンから輸入した氷を横浜の馬車道で売ったのが最初とされている。

これに触発された中川嘉兵衛なる人物が、富士山麓の氷を利用するつもりだったのが運搬中に溶けてしまい断念、北海道に乗り出して亀田川の厚氷を保冷設備を持つ外国船で東京へ運び、築地に氷室を設けて売り出したのが「函館氷」の由来らしい。
氷1杯八文は当時の物価水準からすれば相当高価だったにもかかわらず需要が殺到したそうで、巨利を得た中川氏はあちこちに貯蔵庫を増設し、浅草雷門前に試売所を開いて大々的に宣伝した、とある。

函館での採氷はその後、五稜郭の外堀が利用されたそうで、毎年9月下旬に壕ざらえをして河水を注入し、不純物が混入しないように注意を払いつつ、凍結して厚さが7寸(20cm程度)になったのを切り出して運んだらしい。
明治10年頃から人造氷が登場するが悠長な天然氷の時代はその後もしばらく続く。
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地図を開くと五稜郭の近くには亀田川が流れており、そこから取水したのは間違いないのだが、明治の時代にどのような方法で水路を設けたのか興味が湧く。
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五稜郭は山裾といっても良い場所で、清冽な伏流水は品質面においても優れていたのだろう。しかし、いくら不純物の混入に注意したといっても小さな草っ葉や昆虫の死骸といった類のものは混ざったであろうし、悪ガキや酔っ払いが立ちションするぐらいの事は充分可能だったと想像する。

話がそれてしまった。
船で本州まで運ぶやり方はその後姿を消したが、本日、地元の物知りに以上の事を話すと、送電設備が不十分だった昭和30年代前半まで、家庭や飲食店用の冷蔵庫の保冷用として五稜郭の天然氷が使われていたそうな。

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「五稜郭外ニ凍氷ヲ取ル図」
商工函館の魁(明治18年刊)より


※本文前半は座右の書「飲食事典」の請売りです。
それにしても著者である本山荻舟氏の物知りな事。呆れるとしか言いようがない。

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固い日記なのでオマケ。
先週金曜日、1歳の記念撮影にてママ携帯画像。
計算したら今週火曜日から12日間連続で、一緒に風呂に入れない。
帰宅は16日午後。下着類を入れ替え、調味料を補充して夕方に旭川へ向かう。
「アンタ誰?」という表情をされるのが一番ツライ。

スー○ーホテル

今回は定宿ではなくて、10~5月が朝食付きで4,480円で朝食バイキングが無料、しかも温泉もある全国チェーンのビジホに泊まっている。
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駅から徒歩7~8分、松風町にある。
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満員らしく、簡易ベッド付きツイン仕様の部屋に案内された。
高い階なので窓から津軽海峡が見渡せる。

風呂は大浴場といっても3人も入れば満員、男女時間交代制なので好きな時に入れるというわけには行かないけれども、ゆったりと足を伸ばして湯船に浸かれる気分は格別だ。
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本日撮影。
朝食はおかずの種類が豊富で、生卵・海苔・納豆といった定番も用意してある。
自販機のソフトドリンク類が朝食時は飲み放題なので二日酔いの時は有難い。
普段朝食を食べないので軽く済ませるつもりが、昨日、他の客がテンコ盛りにしているのを見て不安になり、結局2巡しておかず全品制覇した上に牛乳ガブ飲み。
こんな時に育ちの良さがモロに出る。
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おっ! 宿泊客用の駐車場にOPEL ZAFILA!
ザフ/トラの登録台数が全国で約15,000台。その中の2台が同じビジホ客という奇遇。
川崎ナンバーなので、もしかしてフェリーで来たのだろうか?
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