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ラジオ体操

早起きして参加してきた。数年振りとなる。

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6時20分に家を出ると27分頃に到着する。自分ひとりなら3分の距離だ。

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今年の役員はラジオ放送ではなくCD音源を使用している。
腕時計を見て〔そろそろ始めるヨ~〕。
全国津々浦々という臨場感・一体感に欠けるのと、首と膝のストレッチを出来ないのが残念だ。

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この日の参加者は15名(うち子供は5名)。
小中学校の体育授業でラジオ体操をやる機会がかなり減っていると聞く。
老人達は今のところ元気そうだが、続く世代が先細りするのは目に見えている。
そう遠くないうちに大して騒がれる事もなく終わってしまいそうな気がする。

目覚めの状態で真面目にラジオ体操を続けるのは結構キツい。
両手を上げて上半身を大きく旋回させる部分で、右肩から肩甲骨ににかけて鋭い痛みが走った。

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子供手当と高速道無料化という〔飴〕に釣られて一票を投じたのはつい数年前。
このやり方をどうのこうのと言えたものではないが、早朝の清々しい雰囲気や、早起きした分遊び時間が増えるなど、子供がラジオ体操に通う効用は大きい。
2014年07月30日 | Comments(0) | Trackback(0) | 家庭

厚別区民祭り

7月27日。
朝からの雨は一向に止む気配がなく、中止の連絡が来やしないかと時々携帯を見ながら本番当日の泥縄練習。

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〔愛するデューク〕の難しい箇所。
この曲は3度目で、過去2回は〔気が付いたら終わっていた〕という印象。
他力本願で誤魔化しているとそのうち何も吹けなくなるものだ。
幸いエレキベースが補強してくれるのだが、低音部もしっかり当てたい。

集合した頃には雨が上がり、やがて陽が差して来た。
進行が予定より早まっているようで、下の控え室で慌しく楽器を取り出してステージへ。
野外ステージの演奏は30年ぶり位だろうか。

20人程度の編成ながら音量は充分、お陰で楽しく吹かせてもらった。

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演奏を終え、打ち上げまで30分あったので乾杯の〔練習〕。
空きっ腹のビールが効いたようで。打ち上げが始まった頃にはほぼ出来上がっていたようだ。
楽しく談笑しているうちに時間が経過・・・。

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撮った記憶がないのだが、多分居酒屋を出た直後だろう。
0時24分。同じ場所で何と5時間近くも飲み明かした事になる。
それにしても、酩酊状態が見事に反映された写り具合だ。
2014年07月27日 | Comments(0) | Trackback(0) | 吹奏楽

谷口静司さんの事

愛読していた甘口時評がしばらく滞っていたので心配していた矢先、23日に亡くなったとの記事が最後の更新となってしまった。(新聞での公表は27日)

初めてお目に掛かったのは1985年、フルトヴェングラーのリマスターCD全集が発売された年で、クラシック愛好家でオーディオマニアの友人に誘われて、〔さっぽろAVシアター〕に参加した時の事。
ちなみに、同じゼミ生だったその友人とは現在も交友が続いている。

フルトヴェングラー指揮による貴重なカラー映像(ドン・ジョバンニのワンシーンだったか?)や、擬似ステレオとリマスターCDの聴き比べなど、当時札響主幹であった谷口氏が適切な解説を加えながら進行し、終盤には当時存命だったカラヤンの音楽観の変貌にも触れるなど、実に見応え・聴き応えのある企画だった。

タートルネックのセーターにジャケットという出で立ちで、音響機器のセットを終えて席に戻る際、左手で支えた右腕の先を顎に添えて歩くサマが何ともカッコ良かった。
その後、FM北海道のクラシック番組は毎週欠かさず聴いていて、クラシツク評論家としても一番身近な存在だったように思う。

2000年、在札コミュニティFM局の開局に伴い、谷口さんが番組を担当する事になった。
谷口さんの〔音楽案内〕は土曜日の17時から2時間(録音)、そして21時からが私の3時間生放送で、尊敬する谷口さんと同じタイムタイムテーブルに載るという夢のようなプログラム。
クラシックからオールディーズへの番組の流れが素晴らしいという多くのリスナーからの賛辞は、当然ながら100%谷口さんのお陰。

実際の会話は番組でのボソボソしたものではなく快活そのもの。
ユーモアとウィットに富んだ話しぶりは魅力的で、ペースメーカーを埋込んでいるとは思えないほど健康そうに見えたものだ。
やがて局の経営悪化に伴い、谷口さんの番組は他局に移った。

もう時効だから書くが、シューリヒト指揮のブルックナー9番をリクエストし、それがオンエアされた事がある。
どうした事かリクエスト主を〔例の友人〕と勘違いされたようで、早速本人にお礼を述べたそうである。
覚えがないので否定したら憮然とした表情をされていたと、後から聞かされた。
内輪の仕込みはマズいので全く関係ない名前を用いたのに何故そうなったのか、未だに見当が付かない。

享年83歳。
半世紀以上の永きに亘り、北海道のクラシック界を牽引し続けた。
私の事など名前はおろか顔すら記憶されていなかっただろうが、多くの事を教えていただいた。

合掌。
2014年07月27日 | Comments(0) | Trackback(0) | 音楽

リラパーク

7月21日。

せっかくの3連休なのにずっと家にいるのもアレだろうという事で外に出た。
当初は美瑛の〔青い池〕の予定だったが、渋滞していそうなのと次女がプールに行きたがっているのとで白石区の川下公園〔リラックス・プラザ〕に変更。

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付き添いで一緒に泳ぐ羽目になる。

次女は2年前からプール教室に通っている成果は予想以上で、深く潜ったまま床面を4~5m進んだり、一緒に平泳ぎしてもすぐに引き離される。

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健康歩道。手すりを掴んでいないと痛くて歩けない。脂汗が出る。

弁当のおにぎり1個では足りないので、自分だけレストランに行く。

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醤油ラーメン

脂がやや多めでニンニクの風味もあり、こうしたレストランにしては中々の味。

出店で野菜などを買い、次の目的地である幌見峠へ。
想像を絶する急勾配の細道を上がり、ラベンダー畑へ。

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峠の頂上だけあって眺めは最高。

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札幌市内にこんな場所があるなんて今まで知らなかった。
わざわざ富良野に行かなくても済む。

50,000km

先週金曜日、帯広出張から帰る途中に達成。

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昨年の9月に中古で購入してから約1.2万キロ、初代から通算で182,500キロ走った計算になる。

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初代トラヴィックの記事を探したところ、最初に出てきたのが55,555キロ
50,000キロの頃はまだブログを始めていなかった。
マイナーチェンジ前なのでインパネは黒。
メーターリングを取り付けようとして失敗したのを思い出した。

今のところショックの抜けは感じられず、柔らかめの乗り心地も気に入っているので、ビル足への交換は来年の車検まで待とうかと考えている。

前オーナーが大事に乗ってくれたお陰で外観も機関もヤレは感じられない。
しかし10年経過しているので、ゴム部分の劣化がやや気になるところ。
2014年07月22日 | Comments(0) | Trackback(0) | 車関係

合奏 140720

7月20日

前日は信濃中OBバンドの合奏。
昼前から練習して臨んだのに、吹けていない部分を結構残してしまった。
本番前の合奏があと1回だけなので焦る。
裏メロを一緒に吹く他の楽器が今回は不参加のようで、Youtubeで確認すると自分独りだけという部分も多く、余計に焦る。
音量を稼いでやろうとフロントベルのユーフォを引っ張り出してみたものの、吹きやすい反面ピッチに不安が残る。
さて、どうしたものか・・・。

17時を過ぎて妻と次女が実家から帰宅。
入れ違いで北区の合奏会場に向かう。

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3連休の中日とあって参加者は14名。
ピンポイントで弱い部分を合奏する。

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呪文とトッカータ(J.バーンズ)
24年前の定演でやった事になっているが、まるで記憶にない。

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Each note on cue・・・一振りごとに音を出す部分を見て、少しだけ記憶が蘇る。

客演指揮者が多忙で練習に来られず、不本意な結果に終わってしまった事だけは覚えている。
しかし、高校吹部の指揮者にしてみれば、〔大人のバンド〕ならある程度の曲作りは自分達でやって当然、という考えだったと思われる。

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そんなこんなで創立30年目を迎えた我がバンド。
定演のポスターが完成した。
2014年07月21日 | Comments(0) | Trackback(0) | 吹奏楽

花魁譚

7月18日。

昼過ぎに仕事を終えた。
懸案店が1軒残っていたので、そこで昼食を済ませてから帰る事にする。

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白樺通りから少し入った場所にあるカフェ・オイランタン
不定休、しかも14時30分で終了とハードルが高い店。
メニューはラーメンの他にチャーハンやスパゲッティなど。
1966年から続いているようで、大きな柱時計や大小の水彩画・デッサンが重厚な雰囲気を醸し出している。

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ラーメン 650円。
四角い海苔と前もって振られた胡椒。自分は勝手に〔オールド帯広スタイル〕と称しているのだが、店主にしてみれば〔ラーメンは元々こういうもの〕といった認識しかないらしく(トボケているのかも知れないが)今回も結論は得られなかった。

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表層の脂をまとって艶やかさを増したテル印麺を見るだけで一層食欲が掻き立てられる。

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それにしてもこの味、いつかどこかで食べている筈なのだが思い出せない。

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そうこうしているうちに丼が空になってしまったではないか。

帰宅してから調べたら、北京亭で手ほどきを受けたというブログがヒットした。
なるほど。往時のドロリとしたスープのイメージが邪魔していたのだろう。

それにしても、出張のラストを飾るに相応しい一杯だった。
2014年07月21日 | Comments(0) | Trackback(0) | ラーメン 道東

よし栄寿し

7月17日

昼過ぎに突然の豪雨に見舞われ、幾分涼しくなった。
出張最後の晩なのでラーメン以外のものを食べたい。
書いてはいないが、カレーは2回食った。

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証拠画像(14日のえび)。

こうなると八丁堀に向かう事になる。

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明るいと飲むには調子が出ないものだが、薄暗い店に入ると時間が止る。
カウンタの奥に老夫婦がいて、店主は持ち帰りの折詰めを作っていた。

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いつものように燗酒と刺身を注文したのだが、先客との会話に口を挟んだ格好できちんと伝わらなかったらしく、いきなり握り出した。

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今回は酒を飲みながら寿司をつまむ。

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やがて客が帰り、手が空いたので燗酒を追加し、さば、たこ、いか、はまち、ほたて、おひょうを追加する。
いずれも2貫で60~130円という安さ。

結局酒3本を飲んで2,950円。
腹も心もすっかり満たされ、明るいうちに定宿へ戻るのであった。

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2014年07月21日 | Comments(2) | Trackback(0) | 寿司

らーめんキッチンなると

7月16日。

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30度を超す予報だったので、仕事前に塩分を補給しなければいけない。

最高気温が32.5度。更に塩分補給が必要だ。
仕事を終えてから稲田町方面に向かう。

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らーめんキッチンなると
お洒落な外観に期待が膨らむ。右側の小屋で麺を打っているようだ。

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胡椒を置いていない。

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メニュー表一番上のなると醤油

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やや灰色がかった自家製麺。

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メニューに(とり白湯、魚介系スープブレンド、えび風味)という但し書き。
無化調を謳う店なので期待していなかったのだが、物足りなさは感じられなかった。

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気が付くと、丼が空になっていた。
2014年07月21日 | Comments(0) | Trackback(0) | ラーメン 道東

とみの食堂、ふくや食堂

7月15日。
最高気温が30度を超えた。
塩飴を舐めて水分を補給したので熱中症は防げたが、体がだるい。
先月の函館出張で効果テキメンだった甘酒は、今回は作らない。
1週間近く飲み続けた結果、飽きてしまった事を告白しておく。
のめり込むと程々で済まない性格だからこれは仕方がない。

体が塩分のみならずミネラル分も要求しているので、ラーメン。
音更町に向かう。

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木野大通り沿い、とみの食堂

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ラーメン3味が580円で、他は定番の食堂メニュー。
奥さんがお冷を出し、やがて現れたご主人が低い天井に付いた大きなシーリングファンのスイッチを入れる。

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塩ラーメン

正方形の海苔にあらかじめ振ってある胡椒はこの地域独特なもので、不勉強でルーツは知らないが、こうしたラーメンは見ただけでも嬉しくなってしまう。

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細い縮れ麺は量が多く食べ応えも充分。
テル印は今回の帯広出張で3軒連続となる。
熱々でやや濃いめのスープは胡麻油が香る。




さて・・・。

国道38号から折れて橋を越えるといつまでも続く郊外店舗街は圧巻だ。
音更町役場はそれが途切れた田舎道の数キロ先。
懸案の2軒目は役場を過ぎた〔金剛園〕という焼肉店から左折し、帯広信金の大きな建物の手前を右折した場所にある。カーナビがなければ探し出せない場所だ。

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ふくや食堂
建物は割と新しいが、店自体は50年ほど前から続いていると、親切なオバちゃんから教えてもらった。

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メニュー一覧。

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塩ラーメン
2枚のナルトが目を引く。
谷岡ヤスジとか、身近な誰かを連想するような〔顔立ち〕。

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チャーハンなどを注文すると付いてくるスープ、アレに近いけれども、かといって旨味調味料がさほど感じられない美味必淡系。
これにモチモチした麺との相性は抜群だ(製麺会社は不明)。

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ここは是非再訪したい。

2016年11月30日 閉店


2014年07月17日 | Comments(0) | Trackback(0) | ラーメン 道東

ラーメン大光

定宿のチェックインは13時なのでまだ時間がある。

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他の懸案2店が日曜が定休日なので近場の大光に寄る。
出待ちの客が7~8人いて店は満員。カウンタ席が1つ空いていた。

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塩ラーメン 650円

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こちらもテル印だ。ローマの泉食堂のものより、やや黄色い。

一斗缶の豚骨ベースを鍋に移すのを見た。
昔からそうなのかもしれないので確証は持てないが、いい意味での豚臭さのようなものが薄まったのと何か関係があるのかも知れない。
良く言えば安定しているという事になるのだが。

次回は味噌にしたい。
2014年07月15日 | Comments(0) | Trackback(0) | ラーメン 道東

ローマの泉食堂

7月13日。
5泊の帯広出張。
この日は割と涼しかったが15~18日の帯広は30℃を超す猛暑との予報だ。
8時30分に家を出る。
日勝峠を降りるまで自衛隊のキャラバン隊が行儀正しく50キロの制限速度で走り続けたので、帯広中心部に着いた時には12時を回っていた。

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カーナビに従い、最初に到着したのがコチラ。
なぜ〔〕なのかは、7年前に書いてある。

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ローマの泉食堂は入り口が2つあり、暖簾も別だ。

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塩ラーメン 580円

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塩にしては結構濃いスープで、胡麻油が効いている。

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麺はテル印。細い縮れ麺ながらしっかりと腰がある。

入り口近くのテーブル席には3人の爺さん客。
町内会なのか趣味の仲間なのか、ほとんど言葉を交わさない。

紫煙がゆっくりなびく。昼時だというのにこの静けさ。
ノンビリした食堂の雰囲気もいいものだ。
2014年07月15日 | Comments(0) | Trackback(0) | ラーメン 道東

合奏 140712

7月12日。

前夜は珍しく飲み過ごしてしまった。
遅い昼食を済ませてPCを立ち上げると、FBにマンボウ氏からのメッセ。
氏が所属するOBバンドが月末にイベント出演を控えているそうで、ユーフォニアムの団員が急に都合悪くなったらしい。

信濃中吹奏楽部OBバンドは、結成の経緯もドラマチックで味のある演奏を聴かせてくれる。
6年前の最初の演奏会以降何度も足を運んでいる憧れのバンドであり、お声が掛かるのは願ってもない事だ。

練習会場は母校近くにあるお寺の講堂。
冷暖房完備で環境は最高。
マンボウさんは私を気遣って先に来て待っていてくれた。

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19時半頃から合奏が始まる。
教え子と先生が共に年を取って〔大人同士の関係〕に発展し、さらに絆が深まったような素敵な雰囲気だ。

やや遅れてTUBA職人さん登場。
ここで、オヤジ同志が集い、〔一緒に吹きたいね〕という決議が実現した。
有難い・・・。
2014年07月13日 | Comments(4) | Trackback(0) | 吹奏楽

合奏 140706

7月6日

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曇り空の中、白石区の〔きのとや〕へ行く。
亡父の一周忌を控え、引き出物を見るついでに喫茶ラウンジでケーキセット。
青いワンピース姿のウエイトレスの接客が好ましい。

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次女はソフトクリーム。
税込389円だけあって濃厚だ。

さて、10月11日に定演を控え、この日が最初の本格合奏日。
カーナビを頼りに手稲区星置にある中学校に向かった。

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この日の参加者は34名。
後ろで中学生達が見学しているので緊張する。

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唇で支えてしまわないように注意したのでバテはしなかったが、1ヶ月以上ロクに吹いていないので、情けない事に座奏でも腕が疲れる始末。
しかも学校の硬い椅子で尻が痛い・・・。

指使いが難しそうな箇所は少ないものの、飛び出し注意や♯♭注意というのが結構出てくる。
デモ演奏を聴きながら朝晩通勤しているが、運転しながらというのは曲が頭に入らないものだ。
2014年07月08日 | Comments(0) | Trackback(0) | 吹奏楽

酒とそば まるき

7月3日。

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この日は19時より高校ブラバンOB幹事の会合。

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左から、経済人会の重鎮(Tp)、息子さんが私の娘と同じクラス(Hrn)、僧侶で合唱部の指揮者(Hrn)、現役時代はハイノートヒッター(Tp)
総会の日程調整やら四方山話やらで2時間があっという間に過ぎる。

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ビールをコップで数杯飲んだ程度。最後の冷酒で急に酔いが回った。

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地下鉄大通り駅に向かう途中、時計を見るとまだ21時ではないか。

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軽く飲む程度ならいいだろう。混んでいないようだし。

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地下に降りると一番奥に案内された。
酒肴の品書きを見ても目移りするので〔晩酌セット〕にする。

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さつま揚げ、柚子豆腐、切り干し大根におからという内容。
軽く飲む分には丁度いい量

選べる酒は〔天狗舞〕の超辛口。
1杯じゃ足りないので後で〔十一州吟醸〕というのを追加する。

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〆の蕎麦を手繰り終え、1階のレジで会計を済ませる。
夜風が生暖かい。

2014年07月04日 | Comments(0) | Trackback(0) | 蕎麦・うどん

藤そばの想い出

記憶が確かなうちに書き記しておこうと思う。
南3西4にあった太い手打蕎麦の店、藤そばの事。

学生時代の一時期、講義の無い日に街に出て、タワーレコードで物色してから近くのジャズ喫茶でモダンジャズを聴き、ダイエーの「ハブ」でビールかハイボールでタバコ2本、13時を回った頃に「藤そば」で大もり、といった具合。
原チャリで行っていた筈で、今にして思えば夢のような日々であった。

その頃買って読んだグルメ本に、藤原店主のこんな談話があった。

蕎麦とつゆとの相性を確かめるには「かけ」が一番。
夏の暑い時、一見さんに「かけ」を注文されると緊張します・・・というコメントで、いかにもご本人らしい、茶目っ気タップリの表現かと思った。
3年ほど前、帯広の蕎麦店で偶然その本を見つけたので載せておく。

藤そば1

この太くて不揃いな蕎麦は好みが分かれたようだが、祖母が打つ田舎そばで育った私には丁度良かった。
ただし特別美味いとも思わず、昼のピークを過ぎた薄暗く落ち着いた雰囲気がとにかく好きだった。

就職してからは行く機会が激減してしまったものの、奇しくも仕事でのお付き合いが始まる。

古いビル(現ワカツキスクエアビル)の地下に構えていた本店は、1990年のビル改築に伴い2階に移転する。
その準備期間に、当時勤めていた会社の二代目がこの店の常連(そば会メンバー)だった縁で、北3条店(緑苑ビル)へ厨房器具の交換に行かされた。

冬の寒い日だったと記憶している。仕事を終えてから背広姿のまま工具箱を携えて向かうと既に暖簾は降りていて、店主(以下、大将)の藤原厚人氏が満面の笑顔で待っていた。
作業が終わると釜に再び火を入れ、「もり」をご馳走してくれた。
大将はずっと自分の右隣にいて、手繰っている最中も親しげに話しかけてくる。
会話内容は覚えていないが、たぶん祖母が打つ蕎麦や学生時代に通った事などを伝えたのだろう。
手繰り終え、タバコ片手に蕎麦湯を飲むような世間知らずの若造を相手に、終始ニコニコしておられた。

数日後、二代目(現社長)より架電。
「オイ、フジの大将がアンタの事を気に入ったみたいだぞ」と。
そんな経緯もあって、この店は私が担当する事となる。

ところで、この店を知っている人なら丸太の椅子を覚えていると思う。
そのうちの5つは大将から頼まれ、当時ログビルダーを志していた私がチェンソー持参で市内の原木業者に赴き、ベイ松(カナダ産のダグラスファー)の太いやつをその場で玉切りして家に持ち帰り、皮剥きして納めたもの。
当時は末口30センチの2間物でも原木なら1本4,000円程度だったのでその分だけ貰うつもりでいたら、「イヤイヤ、すまんねぇ~」と渡されたポチ袋には折り目をつけずに四つ折りにした1万円の新札。
この気配りには痺れた・・・。
正しくポチ袋の精神そのものだと思う。

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だから今でも大事に保管してある。
中身は多分ローンの返済に消えたのだろうけど。

木曜は定休日なのに店に明かりが灯いていたので気になって寄ってみると、客席の隅でベレー帽を被った大将がステンのボウルと「秤」を前に、何やら薬の調合みたいな事をやっている。
詳しくは訊かなかったが、単純に「2対8」というものでもないらしい。
粉の入ったボウルが3~4個あったから、蕎麦粉も数種類あったのかもしれない。
見た目は武骨な田舎蕎麦でありながら、優しさや繊細さといった持ち味は、日々のこうした積み重ねによるものだったのだろう。
この時、普段の血色の良い表情とは違ってヤケに老け込んで見えたのが妙に気になった。

大将には娘さんがいて、当時短大生と聞いていた。
店の手伝いに来ていた時に二言三言、話をした記憶がある。
お会いしたのはその時だけなので、ご本人は恐らく覚えていないだろうが。

この店では夜になると蕎麦会席のような料理も出しており、「二代目」の奢りで同期の「Y」と一緒にご馳走になった事がある。
握り寿司まで出てくる豪勢なもので、壁にあった更科源蔵直筆の書を横目に見ながら「1人1万コースだなコレは」などと恐縮しながら味わったものだ。
最後に「ざる」を手繰り、その後に2代目行きつけのスナックで2時間ほど説教やら何やら。

その時に「オイ、大将の娘だけどヨ、嫁にどうだ? 俺がハナシ付けてやるぞ」。
これには閉口した。
何と返したのかは憶えていない。既に転職を決めていたのでその話は「ご和算」となったが、そのまま会社を辞めずにいたら、いずれ「2代目」になったのだろうか? いや、とても務まるものではなかっただろう。

半年後、転機が訪れる。
昼過ぎの空いた時間を狙って退職の挨拶に訪れた際、大将にこっぴどく叱られた。
本人にしてみれば寝耳に水で、ものの数秒で大爆発。
「これからアンタと付き合えるのを楽しみにしていたのに残念だ」といった内容を、それこそテメエコノヤロー!の口調で捲し立てるものだから堪らない。
最後に「まあいい、頑張れ!」。と、いつもの柔和な表情に戻る。

それから1年後、職場に私あての電話。
「あ~、フジのソバヤでしたぁ」
あげ笊が壊れたのでアンタのほうでなんとかしてくれないか?といった内容。
営業担当に言えば済む事だし、全く畑違いの世界に行った者にわざわざ電話を寄越すとは・・・。
その場でメーカーに連絡し、自分を覚えていた担当者に手配した。

会社を辞めて負い目を感じているから顔を見せられないのでは? という店主の察しはまさに図星。
不義理を反省すると共に、凄い人に巡り合ったものだと気付かされた。

件のステン製のあげ笊(マルゼンの製品)は果たして蕎麦屋向けの物だったのかどうか・・・。
富公のオヤジと同様、釜の縁に叩きつけるようにして湯を切っていたのは覚えている。
無手勝流というか、どこかの蕎麦屋で修業する事なくこの世界に進んだ人なのかも知れない。

その後は度々通うようになったものの次第に足が遠のき、駅前通りを歩いているのを遠くから見かけたのが最後。
亡くなられる前年だったようで、我が子にここの蕎麦を食べさせるという願望を果たせぬまま終わった。
その後娘さんが継いだと聞いたが、1年ほどで閉めてしまったようだ。

その後、備品類を〔二代目〕が引き取って会社の倉庫に保管してあると聞いた。
思い出のよすがに丸太の椅子を1つ分けて欲しいものだが、同期の「Y」も辞めてしまった現在、その所在を確かめる術がない。

藤そば3

4店舗時代のマッチの図案。
(北海道情報誌HO様、引用許可有難うございました)

070608 味の名店会

「鳥〼」に貼られていた名店会のポスター(2007年6月撮影)。

060406 藤蕎麦

やっと探し出した「もりそば」の画像。
大もりの量が少ないので2枚注文した事も度々。
感じの良いメガネの花番さんが丁度良いタイミングで蕎麦湯を出してくれたものだった。

※ 2017年5月追記。
コメントを頂いた方の情報で、娘さんが手打ちそばみなとの店主であるとの情報を得た。




2014年07月04日 | Comments(12) | Trackback(0) | 蕎麦・うどん
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