お昼はホテルノースシティのスペシャルランチ。
同行者が簡単に食べられるものを所望したのでハヤシライスとなった。

コーヒーor紅茶付きで680円
ところで昔、こんなCMがあった。
♪ア~ラこんなところに牛肉が、たまねぎたまねぎあったわね・・・♪
おそらくこの家の冷蔵庫のフリーザーは永久凍土と化していて、すっかり冷凍焼けした「タラコ」だの「鶏むね肉」だのが奥に埋もれているのだろう。
そんな家庭でも牛肉と玉ねぎさえあればハヤシライス、いや「Hashed Beef」を気軽に食べられますぞ・・・。
「ハヤシ」は「ハッシュ」が訛化されたというのが定説のようだが、誕生には諸説あるようで、「横浜のハヤシさんという人が作ったという話をなんかでよんだ記憶がある」という前資生堂顧問の高石之助の話、「林さん」いう客が毎日のように食べに来るからといった話・・・。
中でも面白いのが丸善の創業者である早矢仕有的氏が、従業員の昼食用に、ご飯とおかずが一皿で済む料理を考え出した、という早矢仕説。
当時、神田佐久間町の「三河屋」という洋食屋で「ハッシュ・ビーフ」という人気メニューがあり、有的も贔屓にしていたというから、作り方を店の人に訊くなりして自分なりにアレンジし、ライスと一緒に供したもの、と考えられなくもない。
こうしたエピソードからしても、ハッシュ→ハヤシというイントネーションの訛化はやはり正しいのではないかと思う。
いずれにせよ、小僧のまかないを自ら手掛けるとは、何ともマメな創業者ではある。
ところで、この話の引用元は小菅桂子著「にっぽん洋食物語」

昭和58年刊行。
明治・大正を生き抜いてきた料理人及び関係者らの証言を元に構成された名著で、のちに文庫化されたようだが残念な事に既に絶版のようだ。
その中にディック・ミネ氏の「カツライス」に関するエピソードがあり、長くなるが抜群に面白いので全文引用させてもらう。
「カツライスねえ。立教の学食でよくくったね。相撲部にいてラグビー部にいてハラへったもんね。カツライスは十五銭だったよ。おれが立教を卒業したのは昭和七年だから昭和の四、五年じゃないかな。カツの切口を見ると衣より豚のほうが薄いんだよね。その頃の学食はおはちにお茶碗で飯はいくらくってもいいわけよ。
ご飯は三銭。それで六杯から九杯くったもんね。おかずはカツ一枚だけどキャベツはいくらでもくれるんだよ。
一枚のカツで飯を六杯も九杯もくうのむずかしいよ。どうしたかというと、カツにソースをかけてそのカツをキャベツの上からチョンチョンとつけるの、そうするとキャベツにカツのにおいがつくからはじめはキャベツで飯くうんだけど、どっかにカツが入っているような気がするのよ。そいで四杯目ぐらいからカツをくいはじめるんだけど、こうやってたべるとはじめからおわりまでとんかつくったような気がするの。うまかったね」